植物と昆虫 どっちがすごい?

植物や昆虫の生態や生存戦略から、人間の生き方を学ぶネイチャー・ライティング

 里山は「自然」ではない

里山」が近年、ちょっとしたブームを起こしていると思います。

きっかけは、COP(生物多様性条約国会議)などで、世界の国々が「THE SATOYAMA」として、注目したことだったと思います。

「じゃあ、世界が注目する里山って、いったい何なのか」ということで、注目度が上がってきたと思います。

里山に来た人が、「やっぱり自然はいいなあ」というのですが、里山という場所は、「自然」ではありません。

「自然」は日本語では2つのニュアンスで使われています。

ひとつは、英語でいう「nature(ネイチャー)」で、文字通り人間の手が加えられていない、地球環境のこと。

もうひとつは、「natural(ナチュラル」で、「自然な髪型」とか「自然体で臨む」とかいうときの、あるがままの状態のこと。

「やっぱり自然はいいなあ」というときの「自然」は明らかに前者のことを言っているのですね。

里山は、かつて人間が山からいろんなものを収奪するなかで、うまいこと出来上がってきたシステムです。人の手が入らずにそのまま放置された、「ネイチャー」ではないのです。

ネイチャーとなった山は、光が差し込まないうっそうと暗い密林と化します。こうした森には限られた動植物しか暮らせなくなります。動植物の種類の少ない森になってしまうのです。

これを人間は森が「荒れた」状態と表現しています。でも、これが自然本来の「ネイチャー」なのです。

私たちが「自然っていいな」というときの「自然」は、ネイチャーではなく、人が手を加えた環境をいうのです。

だから、里山もネイチャーではないし、ナチュラルでもないのですね。

動植物の種類の多い環境を「生物多様性が高い」といいますが、生物が多様なことは人間にとって何のメリットがあるのでしょうか?

私たちは自然界から生まれる多くのものを利用しています。食べ物だけでなく、ものづくりの素材や医薬品などとしてです。

生物が多様であるほど、人間にとって有益なので、生物多様性が大事なのだということになるのです。だから、生物多様性が高い里山が見直されているというわけです。

里山では、薪や炭の原料となる木を山から切り出していました。そうすることで、光をさえぎっていた木が切られたことで地面に光が差し、草が生えます。花が咲くと虫が寄ってきて、それを食べる小動物や鳥が増えて、それをまた食べる大型動物も増えていきます。

この里山を持続可能なものにするためには、人が山に手を加え続ける以外にないのです。「自然」にしておいたらダメなのだということを知っておかなければ、里山は維持できません。

「よい環境」とは、ほかでもなく人間にとって、です。それは決して地球環境を放置することではありません。里山を維持するために、里山を利用し尽くす――それしか里山を維持する方法はないのです。

でも、人間も自然界の一部というなら、里山も「自然」といえるのですが。言っている意味、わかりますよね?