植物と昆虫 どっちがすごい?

植物や昆虫の生態や生存戦略から、人間の生き方を学ぶネイチャー・ライティング

 最後に残るのはどっちだ?  

今の時代は誰もが主役としての役割を望まれているために、脇役が評価されにくい時代かもしれません。何者かになれなければ、ただ普通に人生を送っただけでは失敗だと考えられている節さえあります。でも、本当は普通に生きているだけでいいと思うのですが。

だから、「自分は主役にはなれない、一生陽の当たる場所で活躍なんてできないんだ」と自分を卑下している人もいます。最近は使われなくなりましたが、昔は「日陰者」なんて言葉がありました。

辞書によると、「表立って世に出られない人」とか、「世の中に埋もれて出世できない人」と書いてあります。でも、そういう人こそが我慢強くて社会の役に立つ人なのですよね。

植物の世界にも「日陰者」はいます。日当たりを好むものと、日陰を好むものがいるのです。この両者、最終的に残るのはどっちか知っていますか?

森林ができるとき、時間の経過によって生える樹木の種類が変わっていく「遷移」という現象が起こります。まず、草も木もない土地(裸地)には、最初にススキやササが茂ってきます。

その後、日当たりを好むマツやカンバ類といった陽性の樹木が生えます。そのあと、日陰でも大きく成長することができるブナ、シイ、カシなどの陰性の樹木も生えてきます。陽性、陰性の違いは、親の木(母樹)の下に子どもの木(稚樹)が育つかどうかで分けられます。

母樹の下では日陰となるわけなので、その下でも成長できるということは、日陰への耐性を持っているということです。これを耐陰性の樹木といいます。

やがて、陰性の樹木が大きくなってきて、陽性の樹木がなんらかの理由で枯れたりすると、陰性の樹木がますます幅を利かせるようになります。こうなると、陽性の樹木は完全に劣勢になってしまいます。陰性の樹木の下では陰性の樹木の子どもしか育たないので、こうなると森林を構成する樹種に変化は起こらなくなります。陰性の樹木の天下です。

何が言いたいかは、もうみなさんおわかりでしょう。そう、最後に残るのは日陰でも耐えられる樹木なのです。いわば「日陰者」です。植物の世界では「日陰者」のほうが最終的には繁栄するのです。

種を繁栄させることだけが生物界にとっての「成功」ですから、成功者は「日陰者」ということになります。あまりにも強い日差しはともかく、樹木はいずれもいくらかは太陽の光を必要とします。光合成しなければ、木として大きくなれませんからね。

だから、陰性の樹木も日陰を好むわけではなく、「日陰でも生きていける」ということなのです。陽が当たらないことはストレスに違いありませんから、陰性の樹木はストレスに強いということです。最後に生きるのはストレスに強いものだといえるでしょう。

自分のいる場所が日陰であるように思えることがあります。でも、人間も日陰で生きることを悲観する必要はないはずです。確かに一時は日当たりのよいところにいるもののほうが華々しく見えます。

でも、最終的には彼らは駆逐され、日当たりの悪いところで育ったものが居場所を占有するようになるのです。日陰にいるときは、ストレス耐性をつけるよい訓練だと思えばいいのです。

そして、いつか日陰から日当たりのいい場所に出たとき、思い切り枝を伸ばし、葉を茂らせればいいのです。

日向者より日陰者が最後に生き残るなんて、なんとも痛快な寓話ではありませんか!