植物と昆虫 どっちがすごい?

植物や昆虫の生態や生存戦略から、人間の生き方を学ぶネイチャー・ライティング

 「登山」ではなく「トレッキング」で生きる  

高校野球の季節になると、甲子園がテレビ画面に映し出されると同時に、雑誌やネットにも高校球児たちの苦労話が溢れます。日本人が好きな「苦労して目標を達成する」話が分かりやすく展開されているからです。

実際の今の高校球児は、甲子園という夢のためにほかの青春のすべてを犠牲にして、当地で過ごす何日かのためにつらい練習に歯を食いしばって耐えているわけではなく、野球そのものを楽しんでいる子が増えていると思います。楽しめなければあれだけのがんばる力が出てくるはずはありませんよね。

森林インストラクターでの活動や勉強をするなかで、森林の中でのいろいろな発見という楽しみがわかるようになってきたので、トレッキングをしたいなあという気持ちが以前にもまして強くなってきました。トレッキングとは、なだらなか山地をのんびりと歩きながら移動すること。登頂を目指す登山とはちょっと考え方が違います。登山は苦しい道中を、歯を食いしばって耐え、頂上での快感を得ようとする人が多いのです。

海外のトレッカーに言わせると、日本人は山頂を目指す人が多いのだそうです。特に中高年に多いといいます。日本で山岳事故が多いのは、そういう中高年が、お金をかけてせっかく来たのだからどうしても山頂に登って景色を眺めたいと思うあまり無理をするからだとその外国人トレッカーは語っていました。

ある登山関係の協会の安全講習を聴いたら、山の事故でもっとも多いのは、尾根だということでした。尾根でそこで雨風に吹かれて動けなくなり、最終的に低体温症で亡くなるケースが多いのだそうです。装備も食料も十分なものを持っていても事故は起きています。何度も引き返すタイミングがあったのに、強行して事故になっているのです。

頂上を目指すから簡単に引き返せないのでしょう。引き返すことは敗北になってしまうからです。中高年の森林インストラクター仲間の話を聞いていると、エベレストに登ったとか、百名山制覇まであといくつだとかいう話が出てきます。こう書くと怒られるかもしれませんが、高度経済成長を経験してきた世代特有の考え方だなあと思いました。かつての日本は「数字が伸びた」、これこそが成長の定義でした。標高何千メートルとか、いくつ登ったとか、数字で表せるわかりやすい結果を求めます。昨今の御朱印帳ブームなんかもそれですね。ある種、コレクターなのです。困難な状況に打ち勝つ若い自分を確認したいのかもしれません。

良い悪いの問題ではなく、世代の感覚の違いを感じました。社会に出たときから不況でジリ貧の私のような世代は頂上を目指すよりも、道中を楽しむことを望みます。ナンバーワンより、オンリーワン? そんな単純な話ではありません。何かの目標のためにやるのではなく、やること自体を楽しむということです。

山頂という結果とかご褒美を目指して、堪え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのではなく、山中という過程を楽しもう。そこに必要なのは知識です。

植物や動物のことを知ること。花の名前を知って満足するのではなく、場所が違うと花の色が違うのはなぜなのか考えてみること。沢の水はどこから来てどこへ流れていくのか。なぜ沢の水は冷たいのか考えてみること。知ればおもしろいことがたくさんあるのです。生き方もこれと同じで、何か目標に向かって現状を我慢して過ごすのではなく、日常を楽しくすることを考えましょう。人生は「登山」じゃなく、「トレッキング」でこそ楽しくなるはずです。