植物と昆虫 どっちがすごい?

植物や昆虫の生態や生存戦略から、人間の生き方を学ぶネイチャー・ライティング

 植物のおしゃべりを聞こう  

「あ、トイレのにおいだ!」

森林インストラクターとして活動する同僚が、以前、子どもたちを自然観察に連れて行ったところ、キンモクセイの香りを嗅いだ子どもがこういったといいます。

「トイレの芳香剤は、キンモクセイを模した匂いで、こっちが本家なのになあ。今の子は本物を嗅いだことがないんだね」と、その同僚は嘆いていました。

かつて下水処理設備があまり整っておらず、汲み取り式のトイレが多くあった頃は、そのにおいに負けない強い香りが必要だったから、キンモクセイの香りが用いられたのです。

森林浴の効果として知られているのが、フィトンチッドという、植物が放出する化学物質です。植物が何らかの理由で出す化学物質に、人間に対するリラックス効果があることがわかってきました。

なぜ植物がそんな化学物質を出すのか? それは植物同士のコミュニケーションであることが、最近わかってきています。

人間は言葉を発することでコミュニケーションを取りますが、植物は化学物質を出すことでコミュニケーションをしているのです。

化学物質の正体は、アルコールやアルデヒド、さらにテルペン類といった揮発性のガスです。なぜ、植物が会話する必要があるのか? それは自分の身を守るためです。ひとつは、自分が虫に食べられてしまったときに、その虫の天敵を呼び寄せるためです。

たとえば、キャベツはモンシロチョウの幼虫(アオムシ)に食べられると、化学物質を出して天敵となるアオムシコマユバチを呼び寄せます。アオムシコマユバチはモンシロチョウの幼虫に寄生します。

それだけではありません。キャベツはコナガの幼虫に食われたときには、モンシロチョウの幼虫のときとは別の化学物質を放出して、コナガコマユバチを呼び寄せるのです。

キャベツは「おーい、アオムシコマユバチさーん、ここにモンシロチョウの幼虫がいるよー」とか、「コナガの幼虫がいるよー」とおしゃべりしているのですね。

これらの化学物質は複数の物質からできていて、食べられた虫によって、ブレンドの仕方を変えているのです。彼らの言葉は一種類ではないのです。また、ある植物が食べられたときに化学物質を他の個体が感知して、防御物質を出すということも行われます。仲間を守る警報を鳴らしているようなものですね。

さらには、根から出る化学物質が「ここはオレのなわばりだから入ってくるな」という信号として働く場合もあります。これらはまさに会話そのものです。

私たち人間は、自分たちを基準に考えがちです。コウモリが超音波で障害物の存在を感じ取っていることはよく知られていますが、それを知ると、「目が見えなくてさぞかし不便だろうに」と思ってしまいますが、コウモリは生まれた瞬間からそういう生き方ですから、まったく不自由はないはずです。

同じように植物も、動けないから不自由なのではなく、それならそれで人間とは別の方法で生き延びる術を身につけているのです。

植物の出す化学物質は、人間でいうとフェロモンのようなもののようです。人間も知らないうちにフェロモンで会話している……相手に好意があるかどうか、言葉で言わずとも相手にわかっていたりします。そんなことが今、解明されつつあります。

外を散歩したら、植物たちのそんな「おしゃべり」に耳をすましてみるのもいいかもしれません。

 ストレスはあっていい

私が森林インストラクターを志したのは、ひとつには「自然から学ぶ」生き方が、現代人にもできるのではないかという思いがあったからです。

20世紀に入ってから科学文明が加速度的に発達したおかげで、人間は自然を理解し、制御できると錯覚したところがあったと思いますが、本当は、お釈迦様の手の平の上にいる孫悟空みたいなもので、自然の中から一歩も出られていないのですよね。自然を形成するほんのごく一部が人間であるに過ぎないのだと思います。

だから、人間の生き方においても自然から学ぶ方法がいくらでもあると思ったわけです。

まず、自然界には競争と共生の原理がうまくバランスして成り立っているということがあります。

19世紀の社会主義国の台頭は、競争に偏りすぎた社会を、もっと共生の社会にしようとした実験だったと思います。

これが自然界ではバランスして成り立っているのですから、何か人間社会にも取り込める知恵があるはずなのです。

だからといって、自然界が共生の原理のみで成り立っているかといったら、そんなことはありません。

自然の植物はそれぞれ他の種類の植物と日光、水分、養分を競争して獲得しています。こうした競争がないとき最もよく生長するところを「生理的適地」といいます。

一方、他の植物との競争関係によって、出現する頻度が高いところを「生態的適地」といいます。「生態的適地」は、ニッチともいいます。(「ニッチな商売」ということがありますが、「ニッチ」は生物学の世界で用いられる言葉でもあるのです。)

適材適所と同じように使われる言葉に、適地適木というのがあります。適地適木を表す、尾根マツ、谷スギ、中ヒノキという言葉もあります。

乾燥に強いマツは尾根に植え、乾燥に弱いスギは谷に植え、その中間にヒノキを植えよという教えです。

湿潤な環境を好むスギですが、ある程度の乾燥にも耐えます。スギにとっての生理的適地は谷ですが、生態的適地としては中腹でも育つのです。それはスギにそれだけのストレス耐性があるからです。

本来は生理的適地で暮らしたいのに、他の植物がいるので、生態的適地で暮らさなければなりません。そうすると、日光が不足していたり、水分が不足していたり、養分が不足していたりします。

そのときには植物にもストレスがかかっているはずなのです。でも、そのストレスを受け入れた上で、自分の生きる場所を探して、根を張り、葉を茂らせ、花を咲かせているのです。

人間も同じではないでしょうか。

ストレスをなくして、生理的適地で暮らせる人はほとんどいないでしょう。それでも私たちは生きています。

それは、多少のストレスがあってもそれをはね返し、克服し、受け入れることで、自分の生きる場所を見つけられるからです。人間って、そんなにか弱くないのですよ。

もちろん、過度なストレスは、植物だって枯死するので、人間だって減らしたほうがいいに決まっていますが、このように考えれば、日々の生活でストレスをまったくゼロにする必要はないのだといえるかもしれません。

 「トマトの慎み」は生き残る戦略  

家庭菜園の定番といえば、ミニトマト。我が家でも毎年春先に種子を植えて、10本程度の苗木を育てています。初心者でもミニトマトが育てやすいのは、病害や乾燥に強いからです。放っておいてもいくらかは実がつきます。そうですね、1本の苗木から30個はゆうに獲れるのではないでしょうか。

でも、トマトの底力はそんなもんじゃあありません。1985年のつくば万博のとき、遺伝子研究の権威である、筑波大学のグループが育てた一本のトマトの木から、なんと1万5000個近い実をつけさせることに成功しました。

遺伝子操作をしたからだろうって? そうじゃありません。単なる水耕栽培で育てただけです。じゃあ、なぜ水耕栽培でそれだけの実ができたのか。それは、本来、トマトにはそれほどの潜在能力があるということです。

植物が成長するには、日光、水に加え、窒素、リン、カリウムという栄養分が必要です。これらをできるだけよい環境で与え続けることで、1万個以上もの身をつけることに成功したということなのです。このことは、トマトにはそれだけの潜在能力があることがわかる一方、じゃあなんで普通のトマトはそこまで成長しないのかということにもなるわけです。

そもそも植物にとって土は必須のものではなく、水分をとどめておくためのものであり、本来植物は水の中でも生活できるものなのでしょう。最近は人口の光と水耕栽培の「植物工場」でレタスを栽培しているところも増えました。「土に生えてないものは不自然」とかいう人がいるのですが、もともと植物は海の中にしかいなかったのですから、土がなくても植物はきっといいんですよ。

本来はもっとたくさんの実をつけられるけど、そうしないのは、トマト自身が土に生えるという与えられた生態系の中で、適正な成長規模を守っているからです。身分をわきまえながら、隣のトマトの木と共存しているからです。これを生物学者村上和雄先生は「トマトの慎み」といいました。こういうと、トマトが何か意志をもっているような言い方ですが、あながちそれも間違っていないかもしれません。では、その意志とは何でしょうか?

ライオンのオスは、生まれてある程度大きくなると、群れから離れ、メスを見つけてハーレムを形成します。既存のハーレムのオスと戦って群れを乗っ取ることもあります。群れを乗っ取ったときには、群れの子ライオンを殺します。

そうしないと群れのメスが発情しないからです。そして、オスはメスに自分の遺伝子を残させます。これはきっと、ライオンの数が増えすぎないようにするための彼らなりの生き方なのだと思います。自分たちで適正数を調節する仕組みなのです。

それと同じことが、トマトにも言えるかもしれません。トマトが増えすぎると、日光、水、栄養分の取り合いになり、いつかどこかで全滅なんてことになるかもしれません。一つのトマトの木しかなかったら、その木が枯れてしまったら、子孫が途絶えてしまいます。

でも、そこにトマトの実を10個しかつけないけど、とても病気に強い特徴をもった木ができれば、トマトの種全体として生き延びる確率が格段に上がります。そういう仕組みが働いて、「トマトの慎み」になっているのではないでしょうか。

人間もそうですが、増えればいいってもんじゃないんですね。人間も種としてしたたかにサバイブするための「慎み」を覚えたいものです。

 ピンチはチャンス! 上がダメなら横へ  

いまだいたいの小学校で1年生になると、アサガオを育てているはずです。その理由としては、アサガオが比較的強い植物だからだと思います。

タネを植えるとだいたい発芽します。子供が持ち帰ったアサガオから種を取ったときに、はじけて飛んだ種が庭に転がり、秋なのに発芽したことがあります。

水さえ与えていれば育つし、少し乾燥しても簡単に枯れません。成長も早くて、すくすく伸びます。視覚的に明らかに成長していくので、子どもとしてもわかりやすいのだと思います。

アサガオといえば、「ヨウ素でんぷん反応」を思い出す人も多いのではないでしょうか。葉っぱにアルミ箔を巻いて、巻いた箇所と巻かなかった箇所を観察します。

すると、巻かなかった箇所は、葉が紫色に変色しますが、巻いた箇所は変色しません。うがい薬に含まれるヨウ素がでんぷんと反応して色が変わったと習ったはずです。

アサガオはツル状の植物で、どんどん上に伸びていきます。ツルの先端を頂芽といい、ここが成長していきます。葉のそばにはわき芽(腋芽)がちょっと顔を見せています。

なぜわき芽があるかというと、頂芽が何らかの理由で切断されてしまった場合、わき芽が伸びて成長していこうとするからです。でも、このわき芽は頂芽が順調に伸びているときは、成長しません。このことを頂芽優勢といいます。

頂芽にしてみれば、わき芽に対して「おれが伸びるから、お前はもしものときに待機しといてくれ」といった感じでしょうか。頂芽が順調に育っているときは、わき芽が伸びないように、わき芽の成長を抑えるオーキシンという植物ホルモンが頂芽から出ています。

オーキシンは頂芽で作られているため、頂芽がなくなると、オーキシンも出なくなり、わき芽が伸びるというわけです。

先端の芽をつまむことを、「ピンチ(Pinch)」といいます。芽をつまれることはピンチ(危機)であるわけですよ。でも、芽を摘まれて危機に陥ったとしても、別の方法で、別の方向へ伸びていくことで生きながらえることができるのです。

どこかが傷ついてもそれで諦めたりしない。そこを修復したり、別のところを伸ばしたりして、成長していく。それはすべて仲間を増やしていくためです。

上に伸びられないなら、横へ行けばいいのです。上に行くだけが光を得られる条件だと考えているのですが、そこにスペースさえあれば、横へ行くことでも光を得られるのです。

人間も同じではないでしょうか。昇進できなくて、左遷されても、そこでも給料は支払われるわけですよ。苦しいときは上に行くしか自分の生きる道はないと思い込んでしまいます。

でも、少し視点をそらしてみたら、それだけではない生き方もあることに気づけます。左遷された先で結果を出して、大いに出世する人はたくさんいます。ピンチをチャンスに変えることもできるはずなのです。

小学1年生でアサガオを栽培するのは、朝学校に行くと咲いているのを楽しみにできるようにという理由もあるようです。幼稚園や保育権から、いきなり机に何時間も座って過ごすようになる小学1年生には、そういう仕掛けも大事ですよね。

1年生にはそれだけじゃなく、傷ついても傷ついてもその都度、対応して生きていくアサガオのたくましさにも気づいてほしいものです。

 

 イネが「日本のかたち」をつくってきた?  

秋。それは実りの季節です。

この季節には多くの食物が果実をつけます。なぜ秋なのかというと、夏の太陽がたくさん照り付けるし、気温が上がるので光合成が活発になり、果実や種の生産をしやすいからとか、花粉を昆虫に運んでもらうためには彼らがいる間に受粉する必要があるからとか、冬を越せない一年草は冬が来るまでに種をつけないといけないからといった理由があります。

一年草のうちで最も有名な植物といったらなんでしょう。私たちが毎日食べているもの。そう、イネ(稲)ですね。

イネは春から秋の間しか生きられない一年草です。そのため、コメという種をつくって越冬するわけです。

日本に稲作が伝わったのは紀元前10世紀ごろといわれています。それから紀元前3世紀までを弥生時代と呼びます。弥生時代以降、この国のかたちは米を前提につくられてきました。稲作が出てきたことで、人は定住するようになり、貧富の差が出てくるようにもなりました。村の中で米を管理する必要が生まれ、組織が生まれました。すると、権力者も生まれ、政治が生まれたのです。

稲作は日本の風景も変えました。その一つの例が阿蘇山です。阿蘇山は火山灰に覆われた、緑もなく、水も流れない灰色の山でした。そこに人々は住みたいと思ったのですが、水がありません。そこで人は木を植えることにしました。苗木を背負って山へ登り、植えて回ったのです。木がないので小屋などつくれず、穴ぐらに住みながらの生活でした。そうして240万本植えたのです。

すると川ができて水が流れ出し、稲作ができるようになり、人が住めるようになりました。そんな山の景色をつくった地域が日本にはいくつもあります。

そんな稲作ですが、6月中・下旬ごろには、根の発根力(根が伸びようとする力)を促すために、「中干し」と言って10日から2週間ほど水を抜いて、田んぼを乾かす作業が必要です。これによって、イネは「やばいよ、枯れちゃうよ」と思って、必死で根を伸ばします。そうすることで、そのあとたくさんの養分を根が吸収できるようになり、甘いお米になるのです。中干しをしないとおいしいお米にならないのです。

日本人になじみの深いお米だからこんなことをしているのではありません。西洋の芝生もそうです。昨今、学校でも芝生を植えているグラウンドが増えましたが、施工業者の話では、芝生を設置したら2年目は水を控えめにすることで、しっかりと地中に根を伸ばすのがいいらしいのです。理由はイネと同じです。芝生はお米と同じイネ科の植物なのです。

乾燥は植物にとってはある意味で危機です。でも、そこを乗り越えたらぐっと成長できます。すべてが見たらされた環境でぬくぬくと育つより、修羅場を経験したほうが強くなるのは人間も同じ。

でも、それは十分に育ってからやることです。イネも苗のときに乾燥するとうまく育たないばかりか、悪くすると枯れてしまいます。芝生も乾燥させるのは2年目からです。

苗のとき、つまり幼小期まではたっぷり愛情かけてやり、少し大きくなったら、時期を見計らって逆境の時期をつくってやり、成長を促す。ぬくぬくできる家庭や親元という整えられた環境から飛び出て、逆境にも生き抜く図太さを身に着けることができたら、人間でも立派な果実が実るはずですよね。

 

 最後に残るのはどっちだ?  

今の時代は誰もが主役としての役割を望まれているために、脇役が評価されにくい時代かもしれません。何者かになれなければ、ただ普通に人生を送っただけでは失敗だと考えられている節さえあります。でも、本当は普通に生きているだけでいいと思うのですが。

だから、「自分は主役にはなれない、一生陽の当たる場所で活躍なんてできないんだ」と自分を卑下している人もいます。最近は使われなくなりましたが、昔は「日陰者」なんて言葉がありました。

辞書によると、「表立って世に出られない人」とか、「世の中に埋もれて出世できない人」と書いてあります。でも、そういう人こそが我慢強くて社会の役に立つ人なのですよね。

植物の世界にも「日陰者」はいます。日当たりを好むものと、日陰を好むものがいるのです。この両者、最終的に残るのはどっちか知っていますか?

森林ができるとき、時間の経過によって生える樹木の種類が変わっていく「遷移」という現象が起こります。まず、草も木もない土地(裸地)には、最初にススキやササが茂ってきます。

その後、日当たりを好むマツやカンバ類といった陽性の樹木が生えます。そのあと、日陰でも大きく成長することができるブナ、シイ、カシなどの陰性の樹木も生えてきます。陽性、陰性の違いは、親の木(母樹)の下に子どもの木(稚樹)が育つかどうかで分けられます。

母樹の下では日陰となるわけなので、その下でも成長できるということは、日陰への耐性を持っているということです。これを耐陰性の樹木といいます。

やがて、陰性の樹木が大きくなってきて、陽性の樹木がなんらかの理由で枯れたりすると、陰性の樹木がますます幅を利かせるようになります。こうなると、陽性の樹木は完全に劣勢になってしまいます。陰性の樹木の下では陰性の樹木の子どもしか育たないので、こうなると森林を構成する樹種に変化は起こらなくなります。陰性の樹木の天下です。

何が言いたいかは、もうみなさんおわかりでしょう。そう、最後に残るのは日陰でも耐えられる樹木なのです。いわば「日陰者」です。植物の世界では「日陰者」のほうが最終的には繁栄するのです。

種を繁栄させることだけが生物界にとっての「成功」ですから、成功者は「日陰者」ということになります。あまりにも強い日差しはともかく、樹木はいずれもいくらかは太陽の光を必要とします。光合成しなければ、木として大きくなれませんからね。

だから、陰性の樹木も日陰を好むわけではなく、「日陰でも生きていける」ということなのです。陽が当たらないことはストレスに違いありませんから、陰性の樹木はストレスに強いということです。最後に生きるのはストレスに強いものだといえるでしょう。

自分のいる場所が日陰であるように思えることがあります。でも、人間も日陰で生きることを悲観する必要はないはずです。確かに一時は日当たりのよいところにいるもののほうが華々しく見えます。

でも、最終的には彼らは駆逐され、日当たりの悪いところで育ったものが居場所を占有するようになるのです。日陰にいるときは、ストレス耐性をつけるよい訓練だと思えばいいのです。

そして、いつか日陰から日当たりのいい場所に出たとき、思い切り枝を伸ばし、葉を茂らせればいいのです。

日向者より日陰者が最後に生き残るなんて、なんとも痛快な寓話ではありませんか!

 「登山」ではなく「トレッキング」で生きる  

高校野球の季節になると、甲子園がテレビ画面に映し出されると同時に、雑誌やネットにも高校球児たちの苦労話が溢れます。日本人が好きな「苦労して目標を達成する」話が分かりやすく展開されているからです。

実際の今の高校球児は、甲子園という夢のためにほかの青春のすべてを犠牲にして、当地で過ごす何日かのためにつらい練習に歯を食いしばって耐えているわけではなく、野球そのものを楽しんでいる子が増えていると思います。楽しめなければあれだけのがんばる力が出てくるはずはありませんよね。

森林インストラクターでの活動や勉強をするなかで、森林の中でのいろいろな発見という楽しみがわかるようになってきたので、トレッキングをしたいなあという気持ちが以前にもまして強くなってきました。トレッキングとは、なだらなか山地をのんびりと歩きながら移動すること。登頂を目指す登山とはちょっと考え方が違います。登山は苦しい道中を、歯を食いしばって耐え、頂上での快感を得ようとする人が多いのです。

海外のトレッカーに言わせると、日本人は山頂を目指す人が多いのだそうです。特に中高年に多いといいます。日本で山岳事故が多いのは、そういう中高年が、お金をかけてせっかく来たのだからどうしても山頂に登って景色を眺めたいと思うあまり無理をするからだとその外国人トレッカーは語っていました。

ある登山関係の協会の安全講習を聴いたら、山の事故でもっとも多いのは、尾根だということでした。尾根でそこで雨風に吹かれて動けなくなり、最終的に低体温症で亡くなるケースが多いのだそうです。装備も食料も十分なものを持っていても事故は起きています。何度も引き返すタイミングがあったのに、強行して事故になっているのです。

頂上を目指すから簡単に引き返せないのでしょう。引き返すことは敗北になってしまうからです。中高年の森林インストラクター仲間の話を聞いていると、エベレストに登ったとか、百名山制覇まであといくつだとかいう話が出てきます。こう書くと怒られるかもしれませんが、高度経済成長を経験してきた世代特有の考え方だなあと思いました。かつての日本は「数字が伸びた」、これこそが成長の定義でした。標高何千メートルとか、いくつ登ったとか、数字で表せるわかりやすい結果を求めます。昨今の御朱印帳ブームなんかもそれですね。ある種、コレクターなのです。困難な状況に打ち勝つ若い自分を確認したいのかもしれません。

良い悪いの問題ではなく、世代の感覚の違いを感じました。社会に出たときから不況でジリ貧の私のような世代は頂上を目指すよりも、道中を楽しむことを望みます。ナンバーワンより、オンリーワン? そんな単純な話ではありません。何かの目標のためにやるのではなく、やること自体を楽しむということです。

山頂という結果とかご褒美を目指して、堪え難きを耐え、忍び難きを忍ぶのではなく、山中という過程を楽しもう。そこに必要なのは知識です。

植物や動物のことを知ること。花の名前を知って満足するのではなく、場所が違うと花の色が違うのはなぜなのか考えてみること。沢の水はどこから来てどこへ流れていくのか。なぜ沢の水は冷たいのか考えてみること。知ればおもしろいことがたくさんあるのです。生き方もこれと同じで、何か目標に向かって現状を我慢して過ごすのではなく、日常を楽しくすることを考えましょう。人生は「登山」じゃなく、「トレッキング」でこそ楽しくなるはずです。