植物と昆虫 どっちがすごい?

植物や昆虫の生態や生存戦略から、人間の生き方を学ぶネイチャー・ライティング

 ストレスはあっていい

私が森林インストラクターを志したのは、ひとつには「自然から学ぶ」生き方が、現代人にもできるのではないかという思いがあったからです。

20世紀に入ってから科学文明が加速度的に発達したおかげで、人間は自然を理解し、制御できると錯覚したところがあったと思いますが、本当は、お釈迦様の手の平の上にいる孫悟空みたいなもので、自然の中から一歩も出られていないのですよね。自然を形成するほんのごく一部が人間であるに過ぎないのだと思います。

だから、人間の生き方においても自然から学ぶ方法がいくらでもあると思ったわけです。

まず、自然界には競争と共生の原理がうまくバランスして成り立っているということがあります。

19世紀の社会主義国の台頭は、競争に偏りすぎた社会を、もっと共生の社会にしようとした実験だったと思います。

これが自然界ではバランスして成り立っているのですから、何か人間社会にも取り込める知恵があるはずなのです。

だからといって、自然界が共生の原理のみで成り立っているかといったら、そんなことはありません。

自然の植物はそれぞれ他の種類の植物と日光、水分、養分を競争して獲得しています。こうした競争がないとき最もよく生長するところを「生理的適地」といいます。

一方、他の植物との競争関係によって、出現する頻度が高いところを「生態的適地」といいます。「生態的適地」は、ニッチともいいます。(「ニッチな商売」ということがありますが、「ニッチ」は生物学の世界で用いられる言葉でもあるのです。)

適材適所と同じように使われる言葉に、適地適木というのがあります。適地適木を表す、尾根マツ、谷スギ、中ヒノキという言葉もあります。

乾燥に強いマツは尾根に植え、乾燥に弱いスギは谷に植え、その中間にヒノキを植えよという教えです。

湿潤な環境を好むスギですが、ある程度の乾燥にも耐えます。スギにとっての生理的適地は谷ですが、生態的適地としては中腹でも育つのです。それはスギにそれだけのストレス耐性があるからです。

本来は生理的適地で暮らしたいのに、他の植物がいるので、生態的適地で暮らさなければなりません。そうすると、日光が不足していたり、水分が不足していたり、養分が不足していたりします。

そのときには植物にもストレスがかかっているはずなのです。でも、そのストレスを受け入れた上で、自分の生きる場所を探して、根を張り、葉を茂らせ、花を咲かせているのです。

人間も同じではないでしょうか。

ストレスをなくして、生理的適地で暮らせる人はほとんどいないでしょう。それでも私たちは生きています。

それは、多少のストレスがあってもそれをはね返し、克服し、受け入れることで、自分の生きる場所を見つけられるからです。人間って、そんなにか弱くないのですよ。

もちろん、過度なストレスは、植物だって枯死するので、人間だって減らしたほうがいいに決まっていますが、このように考えれば、日々の生活でストレスをまったくゼロにする必要はないのだといえるかもしれません。